NEXITのブログ

オレが常に何かを考え発信する為のWEBLOG。負担にならない程度に …が基本スタンス。

今年の話題 今年のうちに。

大晦日だし、ちょっとくらいしんみりしてもいいでしょ。
とりあえず、twitter から転載。


葬式とお見舞いの1日。亡くなった大叔父さんのことは、一度まとめてブログにかかなくては。
9:12 PM Nov 18th movatwitterで


世話になった+影響力のあった大叔父さんが亡くなった。本家代表である父が入院中なのでオレが行こうと思う。リハビリ始めた父の様子も確認しておきたいし、気持ちも切り換えたいし。
10:16 AM Nov 16th movatwitterで




その大叔父のことを。まとめると年が明けそうなので、つらつらと。


地域貢献を認められ、何とかかんとか褒章とかもらってる。詳しく書く気はないけど、大叔父のコネを使えば、実家でかなりいい職に就けたとは思う。まぁ楽をさせてくれる人ではないけどね。母も込みで。


とても影響力のある大叔父は、(オレの知る範囲だけど)皆に『社長さん』と呼ばれていたが、役職だけでそう呼んでいたのではないのでは? と思う。呼称が先か役職が先かは知らないけど、オレの中では、また多くの人にとって『社長さん』だったと思う。


ウチの姉弟はそんな大叔父から、従兄弟たちとは異なる扱いを受けていた(と思う)ので、ちょっとした優越感を持っていたのは否定できない。姉はどう思ってるか知らないけど、オレはそう思う。
子供のころの感性で言えば、とてもコワいおじさんとしか言いようがなかったが、母の職場に毎日顔出していたわけだから、コワさに慣れるのは当たり前。大叔父も、毎日顔見せる幼児に対し愛着が沸いても不思議はないでしょう。
まして自分の甥っ子と自分の秘書的な部下の子ですから、特別な想いを持たれていたかもしれません。…そう思いたいです。


オレもそれなりの年齢になり、親戚内がゴタゴタを感じられるようになった時期。その当時、一家の周りの大人がちょと情けなく見えていましたが、大叔父だけは変わらぬ強さを持っていたように感じる。ちょっと距離があったからとも思うけど。


中・高とあまり関わりはなかったけど、新年の挨拶欠かさず行った。連れていかれたとも言えるけど。
お年玉をもらえるのはうれしかったけど、それよりも毎年そこで身が引き締まる思いをしていたことの方が印象深い。


とにかく、いつまでも老いを感じさせないパワフルさを持っていた。
いい歳になりそれなりの地位に就いていた父を称して『あれも大人になったなぁ』といい放つあたりも忘れられない。周りの大人との格の違いを感じることしきり。


今思うと、父・大叔父とは同じ舞台(職種も地域も)で勝負しても勝てないと感じたことが、今のような仕事に就くことを後押ししたのかもしれないね。肉体的にも思考的にも勝てない。だから別の舞台なら肩を並べられるかもって。勝負を避け、逃げただけとも言えるけど。


そんな大叔父にあえて苦言を呈すなら… あなたは偉大すぎたよ。
誰もあとを継げないし、追い越せない。時代の差があるとも思うけど、それ以上に真似できないレベル。同じようには出来ないし、比較されたら辛いだけ。あとに続く人間を委縮させてしまったっていうのはあると思う。
オレなんかがそう思うってことは、父や叔父・叔母はもっとそれを感じていたのではないかと思う。


そんなこんなで故郷を離れ、社会というものが見え始めた時、オレの中でその存在はまた大きくなった。
4輪・2輪の免許取得時にサービスしてもらったからってわけじゃないよ。あれはオレもちゃんと約束を、すべて一発で合格する条件を守った結果だし。
そのころ、祖母が亡くなり、その数年後に祖父が亡くなった。そんな中、たまたまオレが大叔父さんを父の車に乗せ、送迎する機会があった。すっげー緊張した。初めて2人きりになったし。
だからかもしれないけど、その時、車から降りるときに褒められたことは忘れられない。
「おめは父さんど違って(運転が)丁寧だな。」って。
父親との比較があったからかもしれないけど、うれしかった。


そのころだと思う。大叔父から何度か甘い誘いを受けた。
おそらく自分の築いたものを、身内に継いで欲しかったのだろう。まぁオレが何番目にその誘い受けたのか分かんないけど、大叔父に認められた気がしてとてもうれしかった。
でも、この誘いは受けちゃいけないって思ってた。
自立した姿を見せるのが、恩返しというか、その方が喜んでもらえると思ってたから。認められたかったんだよね。きっと。どんな意地っ張りだよオレ。結果従兄弟が2人、そのポスト?についているけど。


晩年はあまり会えなかった。もしかしたら意識的に避けてるところもあったかも知れない。老いた姿を見たくなかったのかも。
まぁオレは会えなかったけど、ウチの娘(と嫁)の顔はちょくちょく見せることが出来たらしい。今考えると、家族の顔を見せることが出来たのはちょっと誇らしい。ちゃんとやれてる感があるからね。家族を持っていると。


ここまでが思い出。
葬式には多くの人が集まった。地元にいないオレにはまったくわからないけど、誰も彼もが『〜社長』と呼ばれてた。
どんな人があつまったかで、故人の偉大さが〜 とか言われるけど、どうでもよかったな。オレとしては。
どこの社長が集まってるかは(マジで)知らないけど、オレにとっての社長さんは、一人だけだけなので。
そんなこととは関係無しに、遺影はとてもいい写真だった。ほんとに。オレが知ってる大叔父の顔だった。たぶん皆もそう感じただろう。元気なころの大叔父の、人柄がよく出た写真だった。あの怖い大叔父がたまに見せる、屈託のない笑顔だった。葬式で奥さんの顔見てたら泣けてきた。上に書いたようなガキの頃を思い出して。


こんな大叔父にはとても追いつけそうにないけど、地元から離れ、大叔父の力を借りずに、今でもなんとかやっていることを誇りしてる。褒めてくれるかなぁ。社長さん。


予定通り、とりとめの無い文章になった。
では皆様、よいお年を。