NEXITのブログ

オレが常に何かを考え発信する為のWEBLOG。負担にならない程度に …が基本スタンス。

『デスノート』を…

先週の帰省のさいに『デスノート』を処分した。実家の友人にあげる形で。前回のコメント欄参照。


なお、文庫本やコミックスは贈与or古書店に回す主義です。ゴミや古紙回収には出しません。
だってコミックスは作品であってゴミじゃないし。それに世界のどこかには『それ』を読みたいと思う人がいるはずだから。その人の手に届く『可能性』は残すべきだから。
ちなみに雑誌はスクラップする主義。あーご存知でしたかそうでしたか。


で、『デスノート』。
改めて読みましたが、やっぱり面白い。映画化も納得。邦画なので謎解釈でヘンテコな映画になるかもしれないけど。
最新刊も面白いことに変わりはないけど…正直飽きた。というか、いつからか違和感があった。
L(もち初代)の死亡以降かなぁ、どうにも『イマイチ』な印象だった。
読み直してその原因がわかった。なんとなくだけど…Lの死亡後、時間が数年経過するじゃないですか。アレが原因とにらんでます。


現実世界に紛れ込んだ『デスノート』。
それを手にし殺人を犯しながらも、決して悪ではない『キラ』の行動。
そして知的な攻防戦を繰り広げる『L』と『キラ』。


小さな異物が現実世界を変化させていくワクワク感。
先が見えない不安と期待と静かな緊張感。
この古典SF的な構造が魅力だったなぁと。


逆に…
時間が経過し、『キラ』が生きる『未来』になった時点で『変化』の魅力が薄くなり、
キャラクター達(いや世界か?)が読者を『過去』置いていった感があり、
物語を延命させるための『変化・都合』を感じてしまった。


※変化の1つはメロとアメリカ介入による暴力性。例えストーリー上で知的なゲームを展開していても、暴力性があることで『何でもありの世界』を生んでいるように感じてしまう。


というわけで、今の展開に馴染めない。
とても面白かった分だけ、揺り返しがでかかった。
そうして『デスノート』は我が家を去りました。


…とってもつまんないのに、ほんのちょっとだけ好きな部分がある。そんな『デスノート』とは全く逆ベクトルの作品の方が、我が家では生き残る確率が高いのです(´ー`)